Apr.2023 VOL.03 人間洗濯機の衝撃453年前にみた未来「三菱未来館がまた出展されるのは楽しみですね」。そう語るのは藤井秀雄さん(64)だ。大阪万博当時は小学6年生。会場に11回訪れたといい、以来熱心な万博ファンになった。大阪・関西万博には13の企業・団体がパビリオンを出展する。趣向を凝らした展示や演出で未来の世界をみせる民間パビリオンには、海外パビリオンとは異なる面白さや驚きがある。ただ、現時点では展示コンセプトや完成イメージが発表されているだけだ。そこで小学生時代に1970年の大阪万博を体験した2人の万博ファンに、当時の思い出や民間パビリオンの魅力について語ってもらった。大阪・関西万博では大阪万博と同じ名前で出展するパビリオンが3つある。三菱グループの三菱未来館はその一つ。大阪万博では1155万人が訪れ、100を超えるパビリオンの中で入場者ランキング8位、民間ではトップだった。パビリオンのテーマは「日本の自然と日本人の夢」。動く歩道に乗って館内を進むと、壁面や天井・床に迫力ある暴風雨や溶岩の特撮映像が映し出され、入場者は荒れ狂う海や爆発する火山の中にいるかのような体験ができた。やがて21世紀の宇宙ステーションや海底都市へ…。日本人が自然に打ち勝ち、未来を切り開く姿を立体スクリーンやスモークスクリーンといった当時の最新技術を使ってドラマチックに演出していた。「スクリーンに映されたサメが襲いかかってくる。超大型台風をミサイルでけちらす場面もありましたね。あんなアトラクションは初めてでした」と藤井さんは振り返る。映像を制作したのは、「ゴジラ」や「ウルトラマン」で知られる特撮監督の円谷英二。映画プロデューサーの田中友幸や音楽家の伊福部昭、SF作家の星新一、福島正実もかかわっていた。もう一人の石原康行さん(63)は「館内で配られたパンフレットが今見ると興味深い」と指摘する。パンフレットの最後に「50年後のあなた」というページがあり、「家庭で世界中のテレビが見られ、プールや自家用ヘリコプターが普及する」「働く時間は1日4時間に短縮され、通勤ラッシュは解消される」と半世紀後の社会を予想していた。「53年たって実現したものもあれば、『ガンの克服』のように実現していないものもある。未来はこうなってほしい、という思いが込められていたのですね。当時の子供たちはこういう未来予測図を見て夢をふくらませていました」大阪万博で「月の石」に次いで人々の記憶に残っている展示といえば、サンヨー館(三洋電機、現パナソニック)の「ウルトラソニック・バス」だろう。(イラストは吉田高志さん)流線形をしたカプセルのなかに入って座ると、超音波で発生させた気泡が体を洗ってくれる人間洗濯機。「モデルさんが実演するのですが、水着姿にドキドキしました」(石原さん)。その後、実用化されなかったが、介護用入浴装置開発のヒントになったといわれる。大阪・関西万博では、シャワーヘッドなどを手がけるサイエンス(大阪市)が進化版の出展を目指している。「人間洗濯機は発想とキャッチフレーズが斬新だった。だから、いつまでも人々の記憶に残っているのでしょう」。石原さんはそう指摘する。「これ以外にもタイムカプセルや動く歩道、電子時計といったワクワクするキャッチフレーズが登場したのが大阪万博の特長です」石原さんが大阪万博で一番好きだったのは日立グループ館だという。同館は、観客が操縦桿(かん)を握って飛行機の操縦を模擬体験できる展示が売り物だった。今でいうフライト・シミュレーターだが、当時はまだ本格的なCG(コンピューター・グラフィックス)などない時代。実は館内に空港のジオラマを設置し、操縦桿の動きに合わせてカメラを取り付けた天井のクレーンを移動させて離着陸シーンを撮影していた。「今から考えるとローテクだが、子供ながらに『工夫次第で何とかできるんだ』と思いました。こういう発想は今の産業界にも欲しいものです」民間パビリオンはワンダーランド元「万博少年」2人に魅力を聞く
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