紀之定正一「しつらいの場」にProfile 紀之定正一 1983年、真生印刷に入社、現在、同社常務取締役兼LAB.AS取締役。地域・未来コーディネーターとして堺市を中心に大阪・泉州地域で地域貢献活動にかかわっている。Apr.2023 VOL.03紀之定正一さん紀之定正一さん 万博の誘致はどんな森和臣さん 2013年、当時大阪府・市特別顧問を務めていた堺屋太一先生が橋下徹・大阪市長、松井一郎・大阪府知事と大阪・北浜の寿司屋で食事をしたときのことです。堺屋先生が「大阪を成長させていくには世界的にインパクトのあるイベントが必要だ。橋下さん、松井さん、もう一回万博やろうよ」と言われたそうです。ここから2度目の大阪万博開催を模索する動きが始まりました。紀之定さん 堺屋さんといえば、1970森さん この時、堺屋先生は「万博は国が動かないと実現しない」ともアドバイスしたそうです。それで、15年の暮れ、松井知事と橋下前市長が安倍晋三首相、菅義偉官房長官(いずれも当時)と会食した際、万博誘致の話をすると、安倍さんは「いいじゃないか」と賛同してくださった。当初、経済界などは消極的でしたが、その後、安倍さんが臨時国会で「万博は地域経済活性化も期待できる」と表明したことで、一気に誘致活動が動き出します。大阪・関西万博が実現したのは安倍さんのおかげです。菅さんにも紀之定さん 森さんは府議会の誘致森さん 委員会は18年5月、大橋一功・府議会議長(当時)を団長に2泊4日の強硬スケジュールでイタリア・ミラノとサンマリノ共和国を訪問しました。ミラノは2015年に万博を開催しており、その経験を聞くこと。サンマリノは2025年万博の開催地を決定するBIE(博覧会国際事務局)総会で支持をお願いするのが狙いでした。とくに参考になったのが万博決定時のミラノ市長、レティツィア・モラッティさんの「国と地域、経済界が一体となって誘致することが大事」「大きな国も小さな国も同じ1票。投票前日まで働きかけなければならない」という話。帰国後、府議会に提出した緊急提言にも反映させていただきました。紀之定さん BIE総会は11月。時間森さん 日本が一つとなっているのを示すには、大阪だけ盛り上がっていてもだめです。それでわれわれは議長や副議長、他の会派の皆さんにも手分けしてもらって全国の議会を回り、最終的に全国46都道府県議会で万博誘致を決議し紀之定さん 総会で日本はロシアやアゼルバイジャンに勝って2025年万博の開催が決定します。大阪が誘致に成功した決め手は何だったのでしょう。森さん やはり大阪府と大阪市が一体となって誘致活動をしたのが大きかったと思います。大阪市は2008年夏季五輪の招致に手をあげ、北京に負けましたが、この時、府と市はバラバラでした。今度の万博の会場となる夢洲は大阪市港湾局などの土地です。以前のままでしたら、府だけで「万博を開きたい」と言っても実現しなかったでしょうね。紀之定さん 1970年の万博では大阪館はありませんでしたが、今度の万博では府と市、経済界が「大阪ヘルスケアパビリオン」を共同出展しますね。森さん 大阪は中小企業の町ですが、中小が単独で万博にパビリオンを出展するのはハードルが高い。それで週替わりで中小企業やスタートアップが出展し、自社の技術や商品、アイデアを紹介してもらうのが大阪パビリオン。これはわれわれがずっと要望していたものです。出展した企業にはそこで世界に向けて情報を発信し、成長への起爆剤にしてもらいたいと思います。将来、「2025年の万博がわが社のターニングポイントとなった」と振り返ってもらえるようになれば。今度の万博は太陽の塔のように閉幕後も残るも紀之定さん わが社(真生印刷)は堺市などで市民の皆さんに工場を見学してもらう「オープンファクトリー」に取り組んでいます。万博に来られた国内外の方に堺や東大阪、八尾に足を伸ばしてもらい、日本の製造業の現場を見てもらうのもいいのではないでしょうか。森さん それはいいですね。せっかく地元で開かれるのだから、大阪の人は万博を楽しむだけでなく、万博に参加して内外のお客様を迎える側になってほしいと思います。万博の主役は、政府や自治体、大企業だけではありません。大阪パビリオンのように中小企業やスタートアップが関わることのできる場がありますし、紀之定さんがおっしゃったように、堺や東大阪の工場を見学してもらうこともできる。一般の人ならボランティアに応募したり、イベントに出場したりするなど、いろいろな参加方法があります。大阪・関西万博は「バーチャル万博」としてオンライン空間にも会場が設けられますから、自宅にいながらアバター(分身)として参加することも可能です。紀之定さん SDGs(持続可能な開発目標)の達成に向けた活動などを支援する万博のプログラム、共創チャレンジにはすでに市民グループなどの1000件近6「大阪で万博をもう一度開こうという話は寿司屋での会話から始まったのですよ」。そう話すのは大阪府議会議長の森和臣(かずとみ)さんだ。大阪・関西万博の誘致活動にかかわってきた森さんに、開催決定までの裏話と万博への思いを聞いた。きっかけで始まったのですか?年大阪万博の生みの親ですね。(聞き手は真生印刷常務取締役、紀之定正一さん)骨を折っていただいたと思います。特別委員会委員長に就任されます。はあまり残っていませんでした。ていただきました。関西経済連合会の松本正義会長をはじめ、関西経済界にも本当に協力してもらいました。のはありません。ただ、大阪パビリオンは「いのち輝く未来社会のデザイン」という万博のテーマを象徴するものとして、施設の一部をレガシーとして残すことになっています。
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